2019年03月08日
マレーシア・マラッカの旅~ザビエルに会う。
英会話教室Kerria(ケリア)です
ブログをまともに更新しないまま
気が付けば3月に入っていました。。。
Time flies...
年末年始に訪れた
マレーシア・マラッカが
まだつい先月のことのようです、笑
マラッカは小さな街。。。
観光は日帰りでも十分、
というツアーも沢山ありますが、
折角ならせめて1泊は滞在してほしい、
エギゾティックな街です
マラッカの土地を感じるべく
オランダ広場を抜けて
まず一番最初に足を運んだところが
小高い丘の上に建つ
「セント・ポール教会」
1511年、ポルトガル人によって
占領されたマラッカに建てられた
カトリック教会跡です。。。
フランシス・ザビエル氏と。。。
ん??
フランシス???
ザビエル。。。???
まさか、あの日本でも有名な
フランシスコ・ザビエルちゃん。。。??
そうです、後で博物館に行って
分かったのですが、やはり
日本でもお馴染みのザビちゃんでした
ここで会えるとは。。。
なんだか嬉しい、笑
ザビエル氏はパリ大学で教育を受けた後、
イエズス会を創設した初代総長となる
イグナチオ・デ・ロヨラ氏に出会います
最初は「う~ん...」と躊躇したみたいですが
ロヨラ氏の人柄・行動力に心動かされたのでしょう、
イエズス会の仲間として共に誓いを立てました
その後、ヴェネチアの病院で
病気の人達を助けたりと
宣教師として献身的に活動します
ヴェネチアの後はローマへ向かい、
イエズス会のメンバーと共に
教皇に付いて宣教活動をしたようです
この教皇との出会いが海外進出、つまり
ミッショナリーのきっかけとなりました
ザビエル氏はインドのゴアを経て、
セイロン島、マレー半島(マラッカ含む)で
積極的に宣教活動、
そこから、日本の鹿児島へ向かい
日本に1年半滞在、その後
中国の広東近くにある上川島という場所で
ついに病に倒れ、46歳で亡くなりました
あれから500年以上経っても
彼の名前が今も後生に伝えられるのは
短い命でも、濃厚に生きた証。。。
ザビエル氏の石像が建つ丘の上からは
マラッカの美しい街が一望できます
暑い。。。けど、
風がとても心地いいです
これから丘を下って
王宮博物館へ向かいます。。。
ブログをまともに更新しないまま
気が付けば3月に入っていました。。。
Time flies...
年末年始に訪れた
マレーシア・マラッカが
まだつい先月のことのようです、笑
マラッカは小さな街。。。
観光は日帰りでも十分、
というツアーも沢山ありますが、
折角ならせめて1泊は滞在してほしい、
エギゾティックな街です
マラッカの土地を感じるべく
オランダ広場を抜けて
まず一番最初に足を運んだところが
小高い丘の上に建つ
「セント・ポール教会」
1511年、ポルトガル人によって
占領されたマラッカに建てられた
カトリック教会跡です。。。
フランシス・ザビエル氏と。。。
ん??
フランシス???
ザビエル。。。???
まさか、あの日本でも有名な
フランシスコ・ザビエルちゃん。。。??
そうです、後で博物館に行って
分かったのですが、やはり
日本でもお馴染みのザビちゃんでした
ここで会えるとは。。。
なんだか嬉しい、笑
ザビエル氏はパリ大学で教育を受けた後、
イエズス会を創設した初代総長となる
イグナチオ・デ・ロヨラ氏に出会います
最初は「う~ん...」と躊躇したみたいですが
ロヨラ氏の人柄・行動力に心動かされたのでしょう、
イエズス会の仲間として共に誓いを立てました
その後、ヴェネチアの病院で
病気の人達を助けたりと
宣教師として献身的に活動します
ヴェネチアの後はローマへ向かい、
イエズス会のメンバーと共に
教皇に付いて宣教活動をしたようです
この教皇との出会いが海外進出、つまり
ミッショナリーのきっかけとなりました
ザビエル氏はインドのゴアを経て、
セイロン島、マレー半島(マラッカ含む)で
積極的に宣教活動、
そこから、日本の鹿児島へ向かい
日本に1年半滞在、その後
中国の広東近くにある上川島という場所で
ついに病に倒れ、46歳で亡くなりました
あれから500年以上経っても
彼の名前が今も後生に伝えられるのは
短い命でも、濃厚に生きた証。。。
ザビエル氏の石像が建つ丘の上からは
マラッカの美しい街が一望できます
暑い。。。けど、
風がとても心地いいです
これから丘を下って
王宮博物館へ向かいます。。。
Posted by 英会話教室Kerria at 19:30│Comments(0)
│旅
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